鯖缶に飽きた頃、私たちはまだ現場に入れずにいた


〜東日本大震災・応援部隊から見た「受援」の話〜

顔だけが、冷たかった。

2011年3月。私は緊急消防援助隊の一員として、九州から東北へ向かっていました。被災地に入ってからの寝床は、寝袋ひとつ。体育館の床、サービスエリアの片隅、消防車両の中。横になっても、寝袋から出た顔だけが、いつまでも冷たくて眠れない。3月の東北は、九州の人間が想像していたよりずっと寒い場所でした。

周りには、同じように寝袋にくるまった大勢の消防隊員。誰かの寝返りの音、咳、いびき。疲れているのに、神経だけが妙に冴えて、眠りは浅いままでした。

こう書くと、苦労自慢に聞こえるかもしれません。でも、それを書きたいわけではないんです。応援に駆けつける側にも、こういう「語られない時間」があるということ。そして、それが実は受援の問題につながっているということを、お伝えしたいのです。

応援部隊の、衣食住

食事は、湯煎できるものが中心でした。パックのご飯、缶詰、カップ麺、そして水。温かいものが口に入るだけでありがたい。ただ、正直に言えば——鯖の缶詰は、途中から見るのも嫌になりました。栄養はある。わかっている。でも、人間の身体は「飽き」にも消耗するのだと、あのとき知りました。

移動も楽ではありません。私たちは消防車両で現地へ向かいます。乗り心地のいい車ではありません。狭く、揺れる運転席を、隊員同士で1〜2時間ごとに交代しながら運転し続けました。被災地に着く前から、移動だけで体力を削られていく。

ただ、誤解のないように言えば——私たち消防は、衣食住を自分たちで用意して現場に向かいます。自己完結が前提の部隊です。だから、寒さや食事のつらさそのものを、誰かのせいにするつもりはありません。それは、覚悟のうえで背負っていくものです。

私が、本当にこたえたのは、別のことでした。

一番こたえたのは、「待たされた」こと

私たちは、一刻も早く現場に入りたかった。一人でも多くの人を助けたい。その一心で、遠い九州から駆けつけたのです。

ところが——現地へ向かっているのに、なかなか進出させてもらえない。待機。また待機。「ここで待て」と言われ、ただ時間だけが過ぎていく。

当時の私には、なぜ待たされるのか分かりませんでした。今でも、その理由のすべてを知っているわけではありません。ただ確かなのは、駆けつけた力が、現場に届くまでに大きな「間」があったということです。

目の前で人が助けを待っているかもしれないのに、自分たちは動けない。助けたいのに、助けに行けない。あの宙吊りにされたような感覚は、十数年経った今も忘れられません。

これは、根性の話ではない

誤解してほしくないのですが、これは「現場は大変だった」という根性論ではありません。そして、受け入れ側の自治体を責める話でもありません。むしろ逆です。

あのとき、被災地の自治体そのものが被災していました。庁舎が壊れ、職員自身が被災し、亡くなった方さえいた。そんな極限の中で、遠方から続々と到着する応援部隊を、的確にさばける人がいて当然と考えるほうが、酷なのだと思います。

そして、私たち消防部隊の進出は、現地の消防の指揮のもとで動きます。ですから、あの待機がどこか一つの落ち度で生じたと言いたいわけではありません。膨大な外部の力を、いつ・どこへ・どう投入するか——その調整の仕組みが、当時はまだ十分でなかった。それだけのことなのだと思います。

消防が見たのは、受援の“入り口”にすぎない

ここまで書いてきたのは、消防の応援部隊という、一つの立場から見た景色です。そして正直に言えば、私が経験した「進出できない時間」も、受援という大きな仕組みの、ほんの一部分でしかありません。

被災地では、自治体の職員が避難所を開け、住民の対応に追われています。物資が届き、医療チームが入り、全国から支援が押し寄せる。その一つひとつに、「どう受け止め、どう活かすか」という受援の課題がある。消防には消防の、避難所には避難所の、行政には行政の受援がある。私が見てきたのは、そのうちのたった一枚の窓からの景色でしかありません。

そして、10年以上が経っても

「それは2011年の話でしょう」と思われるかもしれません。

しかし、2024年の能登半島地震を検証した国の報告書にも、受援に関する課題が数多く記されています。応援職員の宿泊施設が確保できず、車中泊や庁舎での寝泊まりを強いられた。宿泊拠点から被災地まで片道7時間を超える移動もあった。事前に受援計画があっても、認識不足で計画どおりに機能しなかった例があった——。(※末尾の参考資料を参照)

あの夜から十数年。受援をめぐる課題は、分野を越えて、驚くほど変わっていません。

だから、これから考えていきたい

「防災初動研究所」として、災害初動の「受援体制」を、分野を越えて一つずつ考えていきたいと思っています。自分が現場で見たこと、まだ見えていないこと、国の検証から学べること——それらを重ねながら。

受援体制を考えることは、突き詰めれば、たった一つのことのためです。市民の安全と安心のために。助けが、早く、確実に、必要な場所へ届く仕組みをつくること。それが、被災地で暮らす一人ひとりの命と生活を守ることにつながると信じています。

助けに行く力を、無駄にしないために。次の災害で、駆けつけた誰かが、そして受け入れる誰かが、同じ思いをしなくて済むように。

その第一歩として、まずは私自身の原点である、あの凍えた夜の話から始めました。

参考資料

中央防災会議 防災対策実行会議「令和6年能登半島地震を踏まえた災害対応の在り方について(報告書)」令和6年11月
https://www.bousai.go.jp/jishin/noto/taisaku_wg_02/pdf/hokoku.pdf

内閣府(防災担当)「地方公共団体のための災害時受援体制に関するガイドライン」平成29年3月
https://www.bousai.go.jp/kaigirep/tiho_juen/pdf/jyuen_guidelines.pdf

内閣府(防災)「市町村のための人的応援の受入れに関する受援計画作成の手引き」令和7年4月
https://www.bousai.go.jp/taisaku/chihogyoumukeizoku/pdf/jyuen_guidelines.pdf